あ〜喉が気持ち悪い。
どうやら、軽い風邪のようです。

昨日の夕方、お金の事を考えたらいつもの頭痛が始まって、そのうち酷い鼻詰まりになって、そしたらクシャミが止まらなくなった。
急激に起こる発作アレルギー症状。
たまになります。
中学生の頃はほとんど春先から夏まで、所謂花粉症の様な状態で、クシャミが止まらず、鼻水出まくり、目は開かないぐちゃぐちゃの顔が恥ずかしくて、学校に行きたくなかった。
けど、気がついたら治っていた。
高校の時には、もう悩まされる事も無くなってたかな〜。
あれはなんやったんやろ。。。
が、その症状を思い出すかのような状態にたまになります。
昨日もそんな感じ。
そんな時の為に、薬は持ち歩いてて、昨日も役に立ちました。
なんか意味あるんやろな〜

なんか意味あるといえば、、、
化粧品一式を無くす、あるいは盗まれる、という形で、自分の元から無くなってしまうという事態になった話を聴いて、ふと思い出した。
私も生涯で一度だけ、何処で無くなったのかわからないけど、化粧ポーチが気がついたら無かったという、本当に不思議な経験をしてる。
それが起こった時に一緒に居た人の車に落としたとしか思えなかったくらい、検討もつかない事やったんですけど、聞いてみても、「無い」
結局、見つかりませんでした。
昨日帰宅してから、そん時の事を想い返してみてたら、これ、絶対意味あるよね。って思った。
メッセージ性の強い出来事。
私の場合、化粧ポーチ紛失は、その一緒に居た人の本質を目の当たりにするきっかけになった。
お化粧が出来ないというのは、仮面を付けられない状態。
自分を飾れない、繕えない、底上げ出来ない状態。
お化粧をさせてもらえない、というのは、ありのままの自分で居なさいという事なのかなぁとか、ね。
そんな風に私には思えました。

大切なものを無くす時、エネルギーを凄い消耗するし、ダメージも大きい。
でも、一旦ゼロの状態になって、そこから新たに作って行けるとか、見直せるとかのメリットもあると思う。
当たり前にあると思ってたものが、当たり前でなくなる瞬間。
ビリビリ来る程のショックやろうけど、私はそこから新たに生まれるものの新鮮さが楽しみでもある。

私が開いているとき、閉じている人も対面にいる。
でも、観ているところの根っこはおんなじ。繋がる先は同じ。
質の同じと感じる人でも、真逆の存在であったりもする。
それでも、似ているな〜と感じずにはおれない。

一見幸せそうに、平和そうに見えても家族は不自由であったり、家族がバラバラに見えて、崩壊してそうな状態でも、本人は自由だったり、個々の人間の在り方でどうにでも変わる。

今、自分がとても自由なのだということに気がついて、そこから見える景色の中で、私の家族も、自由だったのだと知る。

性の話から、家族の話へ発展した昨日のお話会を、参加してくれたともちゃんがブログで感想を書いてくれました。
ともちゃんと話してると、いつも感じるゼロの視点。
上とか下とか横とか斜めとか奥とかそんな座標からではなく、ゼロの視点から話を観ている。
物事を理解するやり方って、人それぞれ違うけど、素数から世界を広げる見方が出来るのは、ともちゃん特有やな〜。曼荼羅的視感。
私にはそんな風に感じる。
いつもありがとう😊

これからも、継続的に性のワークはして行きたい。
次回もお楽しみに😁








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