今日イチ心に残った記憶

盛りだくさんの1日でした。
朝から確定申告して、教材費の振込して、買い物行って、晩御飯作って、借りてるDVD観て、ライブいった。
その中で、今日イチ心に残った記憶。


自分の記憶の中の真実が、現実とは違う事って、私はたまにあります。
何かの拍子に記憶が書き換えられているのか、どこかで違って認識してしまったのかは、今となってはわかりませんが、私の発言が現実とは違ってた時に、しばしば人と言い合いになることがあります。
私にとってはそれが真実で、揺るがない強い口調で、絶対間違ってない!って言い張ってたりしてました。
で、間違ってて恥ずかしさのあまり言い訳じみた事を言ってみたり(笑)
そんな私の態度の事を、数年前にある方に指摘されました。
知ったかもいい加減にしときや〜って。
その時結構ショックだったけど、自分の中でそのことを受け止めてからは、もし自分の中の真実と現実が違った場合は、言い訳せずに、あら、そうなんか〜間違ってたわ☆って受け止める様にしている。
そんな過去があるからなのか、何かを発言した時、その情報が相手の人と違った場合、高確率で私が間違っていると思われるし、疑われる。
そら、過去には絶対的な態度で否定してきたのだから、そう思われても仕方がないのかもしれない。
世間のイマドキ情報とかに関しては、私にデータが無い事が多いから、知ってる事は知ってるというし、知らない事は知らないと言う。
自分の意見を混ぜた曖昧な言動の時は、大阪人特有の「知らんけど」を語尾に付ける(笑)
自分の記憶の中にあるデータの事で、人と意見が違った場合、結構真剣に言い合ってしまうのは、自分が正しいとかを証明したいのではなく、自分の記憶が違ってるのかを知りたいからなのだなぁと今日初めて解った。

過去の古いデータをずっと使い回していると、今との間に歪みが出てくる。
多くの人が利用する既存の概念や、人格者としてあらねばならないと思う人の価値観で物事を自分に寄せて観ていると、変に歪んで見えてしまう。
大概、人に強く言ってしまったり、意地悪なニュアンスで返答したり、言い訳してたりするときは、相手に対して自分を投影してる時なんだと思います。

自分を通して、相手を知る。
自分が受け容れられた事は、他人に対してもよくわかる。

最近は会話もうまくかみ合わないね。
そう感じてるのは私だけなのかなぁ。


おやすみなさい。





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