自分のテーマを決める

生き方自体が繊細になって来たと感じています。
起こってくることは、さほど変わらないけれど、その中に詰まっているデータが膨大だと、受け取りも多い。
膨大なメッセージがあるのは、人それぞれに受け取るデータ、メッセージが違うからで、以前はピンポイントでひとつだけ受け取ってたとして、今は沢山のデータの中でどれを選択するかを決められらる。
データの量は、今も以前も変わらなかったと思うけど、私の幅がひろがったことで受け取れるデータが増えたのだ。

何を選択しても、本質的に向かう先は同じだけど、通る道はそれぞれ違う。
その道のりを、どのルートで行くのかの選択肢が沢山ある状態の中でも、私は敢えて身体を使う道を選んでいる。
人間としては苦労するのだけど、現実的に苦闘を体験することで、しっかりと自分で理解することができるのが私は好きなのです。多分(笑)

性格が軽ろやかなのは、長所でもあり短所でもあり、使い方次第なのだなぁと思う。
嫌な事は嫌だし、わからないことを分からないと言える私は、素直で率直ですが、デリカシーに欠ける時もある。
その逆を生きる人は、こんな私が多分嫌いです。
本音を言うなんてなんて傲慢なんだろうって思うかもしれない。
私も、以前は遠慮がない人が嫌いでした。
自分が遠慮してたからね。
我慢とも言いますね。
それを、人にも強要してました。
口には出さなくても、心の中で。
だから、そんな気持ちも、とっても解ります。
大体のゲスな人間のする事、自分で体験して来てるから、かっこ悪い人やブスな人の見え方も内側も、わたしの中に既存データとして残っています。
それも今は、私の他人観察や受け入れの強味アイテムとして使って行ける。

習慣として無意識で身体が覚えていることを外すワークとして、利き手を使わずに日常生活に活かす事を始めています。
気づきは結構ありますよ(^^)
数年前に、メンタルアートの講座で実践ワークとしてやってたことがあって、今回もまた体感を通して気付く事があります。

意識の習慣を外すのは結構難関ですが、その前に前に身体を使って、現実的に普段と違う事を取り入れて見ると、今までの常識が変わります。

枠を外す事を、繊細な視点でやって行きながら、自分が目指す自分とは何なのかにフォーカスしていく。
何のために動いているのか。
動機とキッカケ。
そこにも新しい私のアイテムが。

子供の頃に受けた心の縛りは、今は私のギフトとして人に使っていける。
受けた事を連鎖として繋がず断ち切り、私オリジナルとして始動する。

人に何と言われようと、私の質を否定してようと、私の役割の担当が違ってても、私の望みはその先にある。
私の今世のレールはワイルド。
試練を超えた旅の先に、まだ誰も知らない私が居る。

無垢なハートで挑む。

寄り添いと見守り、苦手だけど敢えてそこにもチャレンジ。

バッチコイだ!








心と身体と魂をつなぐよろこび Crystal feeling

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